文学史 学年末範囲
近代短歌
 旧派和歌
  堂上派…『古今和歌集』を手本 風雅中心 非個性的作風
  桂園派
 落合直文(旧派和歌から出発)、浅香社結成
 与謝野鉄幹晶子と雑誌『明星』で浪漫的歌風を展開
 正岡子規、写実的歌風、『アララギの基礎をつくる
 石川啄木若山牧水…自然主義の影響下
 『明星』…北原白秋吉井勇ら 耽美的傾向へ
 『アララギ』…斎藤茂吉の主情的写生
 白秋らは反『アララギ』として『日光』創刊

 和歌の革新
  落合直文浅香社結成、現実主義的方向へ
  しかし革新は門下の与謝野鉄幹や、
  別系統の正岡子規、佐々木信綱らがする

 明星派
  与謝野鉄幹『亡国の音』でますらをぶりを提唱
   『東西南北』『天地玄黄』に示す
   新詩社結成、『明星』創刊
  与謝野晶子みだれ髪
   恋愛賛美→近代短歌の成立
  門下には北原白秋、吉井勇、窪田空穂らが集まり浪漫派歌人の中心に

 根岸短歌会
  正岡子規歌よみに与ふる書』で写生を主張
  没後『竹の里歌』が刊行
  門下 伊藤左千夫…『馬酔木』の編集に
     長塚節『鍼の如く』

 自然主義短歌
  尾上柴舟金子薫園『叙景詩』刊行…『明星』批判
   柴舟は車前草社結成、若山牧水『海の声』、前田夕暮『収穫』を育てる
   薫園は白菊会結成、土岐哀歌『NAKIWARAI』『黄昏に』を育てる
  『明星』の窪田空穂石川啄木も自然主義的傾向
   啄木…生活派と呼ばれる 『一握の砂』『悲しき玩具』
  啄木と哀歌はいずれも三行書きを愛用した

 耽美派
  吉井勇北原白秋、高村光太郎…
   「パンの会」や『スバル』に拠った
   勇 …『酒ほがひ』に享楽耽美を示す  白秋…『桐の花』
 アララギ派
  伊藤左千夫 …正岡子規の歌風を受け継いだ
   『アララギ』創刊
   島木赤彦斉藤茂吉らが集まる
   左千夫の死後、上の二人を中心に発展
   茂吉の『赤光』など

  アララギ派の歌論
   赤彦が写生を説いた→後に起こるアララギ批判の的へ
   茂吉は写生を実相に観入して対象と自己の一体化を図るものと位置づけた

  反アララギ短歌
   佐々木信綱門下…川田順木下利玄
   太田水穂は芭蕉の象徴短歌をとなえ写生と対立

   大正十三年、『日光』創刊
    木下利玄北原白秋らが集まった
    統一が取れず長続きしなかったが、
    昭和期の短歌史の原点といえるものになった

 昭和の短歌
  既成歌壇に対する批判が強まり、新興短歌運動が起こった
  →口語短歌が中心となる
   定型、自由律の対立や生活派・無産派と芸術派の対立などで分裂
    無産派…西村陽吉『緑の旗』、渡辺順三『烈風の街』
    芸術派…石原純、前田夕暮
  白秋『多摩』で新浪漫主義を唱える

 戦後の短歌
  短歌の無力性、犯罪性は短歌否定論の出現を招いた
  久保田正文、木俣修『八雲』は批判を受け止め出発
  老大家の作品が多かったなか、
  近藤芳美が『埃吹く街』を刊行










近代俳句
 俳句革新は正岡子規から始まる
 子規のもとには河東碧梧桐高浜虚子らが集まる
 碧梧桐、新傾向俳句とよばれる自由律の俳句に達する
 しかし虚子が俳句に復帰するとそれをしのぐ
 水原秋桜子が虚子の写生を批判し新興俳句運動を起こす

 俳句の革新
  子規は月並を批判し新しい俳句を提唱
   …改良運動のひとつの表れ

 正岡子規
  『獺祭書屋俳話』で旧派の俳句を否定
  与謝蕪村を評価、写実を説く
  『ホトトギス』が虚子によって創刊されると指導に当たる
  門人には河東碧梧桐高浜虚子

 新傾向俳句
  河東碧梧桐は子規の写実を進め、象徴詩的な俳句を作る
  自由律、無季俳句を作る
  「無中心論」を推称する
  最初は大須賀乙字荻原井泉水がいたが、離れていく
  井泉水の自由律俳句からは種田山頭火が出る

 ホトトギス派
  高浜虚子が『ホトトギス』で俳句を再開
  客観の写生を主張、のちに花鳥諷詠の文学と名づける
  飯田蛇笏ら主観的傾向の作家も活躍

 昭和の俳句
  『ホトトギス』に水原秋桜子、阿波野青畝、山口誓子、高野素十
   →4S時代
  秋桜子は客観的花鳥諷詠から離れ新興俳句運動を始める
  秋桜子の『馬酔木』
   有季俳句と無季俳句の対立やプロレタリア俳句の盛行などの動き

 戦後の俳句
  桑原武夫は俳句は趣味的なものだと決め付ける
  それに対し山口誓子が『天狼』で「根源俳句」を主張




劇文学
 演劇の改良と創始
  自由民権運動の手段として生まれた新派が発展
  新劇…西洋演劇の影響を直接受けて始まる

 歌舞伎の改良
  新富座から新しい歌舞伎座への時代を作る
  河竹黙阿弥は散切もの、活暦ものを書いた
  活暦は依田学海、福地桜痴へ受け継がれる

  新歌舞伎
   坪内逍遥新史劇と呼ばれる作品を発表
   森鴎外も作品を示す
   逍遥以後の作品を新歌舞伎という

 新派
  伊井蓉峰が男女混合改良劇を始めたのが始まりとされる
  やがて最初の政治色から脱し、
  尾崎紅葉『金色夜叉』、徳富蘆花『不如帰』、
  泉鏡花『高野聖』『婦系図』を脚色上演し、歌舞伎を圧倒

 新劇運動
  坪内逍遥と島村抱月ら早稲田派を中心に「文芸協会」発足
  島村抱月、松井須磨子は「芸術座」を結成
  二代目市川左団次と小山内薫が「自由劇場」創立
   →いずれとも西洋演劇の影響を強く受けたもの
  沢田正二郎は新国劇を作る

 戯曲作品
  自然主義作家の真山青果が『第一人者』を発表
  前後して反自然主義の作家や白樺派の作家などが戯曲を書き始める
  多くはイプセンの影響を受け、新劇の舞台を想定したものであった
  岡本綺堂は『修繕寺物語』など新歌舞伎を作り続けた










発展と分裂
 「築地小劇場」ができ新劇運動は飛躍的に発展したが、
 昭和に入り芸術派とプロレタリア派に分裂

 「築地小劇場」
  小山内薫土方与志が中心となり創立
  歌舞伎などに見られる役者の芸から演出家の作品へと変化

 プロレタリア演劇
  小山内薫の死の翌年、土方与志を中心に新築地劇団が分裂
  村山知義、久保栄を中心に新協劇団が結成
  いずれも戦時体制下で昭和十五年に解体させられた

 芸術派
  友田恭助、田村秋子夫妻により築地座が創立
  雑誌『劇作』に支えられ優れた新作を発表
  築地座は十一年に解散、友田は翌年文学座を結成
  文学座の活動は戦後にまで引き継がれている

 新派の動向
  新派大合同により低調から脱し、新生新派が結成

 前進座の出発…河原崎長十郎が中心


戦後
 昭和二十年、新劇が合同公演『桜の園』で復活、
 各演劇集団が活発な行動を開始

 演劇界の動向
  歌舞伎、前進座、新派は弾圧が少なかったのでそのまま拡大
  新劇は合同公演をきっかけに復活、新しいグループの活動も活発に

 現代の演劇
  1960年代、既成の演劇に対して小劇場運動が起こる
  (作家が演出を兼ねたり、主役を兼ねたりする
   アングラ演劇とも呼ばれる)

 テレビの発達は演劇界に変化をもたらした